人に見せる記事はAIで書く時代

収益化を目的としていない個人ブログなんてクソみたいな散文で構成されます

こんなん読みづらいんで人様にお出しできないんですけど、技術記事くれとかなった時お出しするためのメモ

なぜ読みづらいか

そもそも対象読者が記事書いた人本人で、第三者に物事を伝える気がない

このブログなんかそうなんだけど、あれなんだっけなって時に読み返してあーってなりゃいいから情報が断片的になってます

言葉遣いもよろしくない。別に乱暴じゃないけどですますだったりいきなり感情こもったりテンションでメモ書いてるから見返して恥ずかしくなる

この問題を自覚して恥ずかしくならないように書きゃいいんだけど、技術調査ついでに書いてるメモにそんなエネルギー注いでらんねえから無理です

生成AIにリライトしてもらう

生成AIは具体的にChat GPT 3.5とします。理由は使ってるから。すごいよテキストボックスに「技術記事にしてくれ」みたいないことと背景とブログ全コピペで良い感じにリライトしてくれる。

メリットは以下

誤字脱字修正

個人ブログなんて推敲されません。句読点はクソ適当だし変感は見てないから間違いまくってるしコピペしてお出ししたら凄いことになります

びっくりするほど治る

丁寧な文章

適当な散文は「クソ」とか「やめてくれ〜〜〜」「きちぃー」「何をしても良いと思ってる」みたいな人にお出しできるわけない言葉で構成されます。

びっくりするほど綺麗な表現にしてくれる。めっちゃ読みやすい。

見出しの設定

これ記事にある程度作ってるおかげかわかんないけど、なんか良い感じの見出し作ってくれる

いらん情報を削ぎ落とす

技術メモの散文にあがりがちな「すごいよ」「クソだる」みたいな人にお出しするには不適切な情報をカットしてくれる。

どれだけ感情こもった読みにくいし明らか要らんとこはAIが消してくれるんで精一杯適当に書ける。

2000文字のクソ文がスッキリした800字になったりする

良い感じに序文を足す

技術メモの体裁を整えるだけだと技術記事には成りづらく、その理由として導入が無いことがほとんど

目的持って見に来てれば要らないんだけど、技術記事の場合どういう記事ですよって序文が欲しいんです。メモなら要らないんだけど

AIはいい感じの序文を書いてくれる。めっちゃ定型文くさいんだけど、わかりやすいからこれが良いのかってなる。導入でなんか上手い事言おうとしてる文書って読む時胃もたれするから定型文が良い。

人に見せる記事に魂は込めすぎない方がいい

魂っていうか熱量。こもった記事は読みづらい。ブログに限らないけど書く側話す側と読む側聴く側のテンションは全然違う。

書く側話す側は気持ちよくなってくるし時間もかけてるから熱量上がるけど、読む側はテンション0で頭1行でやめたり読み上げソフトで聞き流したりする。

冷静に振り返るとブログ軽く10秒足らずさっとみてやめる事なんて腐るほどあるし、YouTubeの動画2倍速で再生して途中でやめたりBGM的に流したりなんて全然あるでしょ。読む側なんてそんなもん

思想強めに感じる文章とか最初見てやめとこってなるでしょ。動画だとさらにそう。冒頭のテンション自分と合わないなとか、そんな理由で見るのやめた動画とかいくらでもあるでしょ。魂ないゆっくり音声聴きやすいでしょ。そんなもん

その点AIはすごい。いい感じにクールダウンした文章を出してくれるし、改めてその文章読むと書いてる側も良い意味で冷める。

AIにぶつけて記事を冷ます

というかAIが良い感じに冷ましてくれた記事を公開で全然良いよ。魂込めれば込めるほど大衆向けじゃなくなるし、コア向けにしたところでそのターゲットはほぼいないだろうし、いたとしても技術記事提供した先から交流できるか、なんか良いフィードバックあるかと言ったら期待値激低だから、冷ました物の方が良い

ようしらん他人からありのままの感情をぶつけられても困ることを考えると、AIに間に入ってもらうのは合理的なのかもしれない

人にぶつける前にAIにぶつけよう

AIに頼り切る不安を解消する説得みたいな文になった。実際この記事の目的は自分へのそれかもしれない。

余談

これ冷静に考えるといかがしたかブログ推奨してる記事になってる?ネットのクソを肯定してしまってる?

海軍レーダー徒然草とかそういうページが増えて欲しいとは思ってます。面白いのは魂こもった大衆気にしない記事だとは思う